インベストジャパン(アテル)式時代論考
明治維新
江戸末期、黒船が下田沖に迫った結果、鎖国から開国へ向かった。大政奉還により王政復古し、明治政府ができた。
日本は欧米の産業革命を目の当たりにするが、欧米列強を追いかけようにも、日本にはいかんせんカネがない。産業というと、農業しかなかった。
コメによる物納に代わる、カネによる租税制度
ここで明治政府が行なったのが「地租改正(ちそかいせい)」である。コメによる物納に代わる、カネによる租税制度であり、併せて土地に対する私的所有権を認めた。日本に、資本主義が確立する礎となる改革だった。
農民は史上最も厳しい境遇に
あらゆる時代に年貢、重税に喘(あえ)ぐ農民はいた。だが、おそらく明治に入って日露戦争あたりまでの農民が、日本史上最も厳しい境遇だったのではあるまいか。
軍艦や大砲を買うカネ、文明開化のためのカネを、田畑から持ってくるしかない。それでいて、あらゆるものの物価は、江戸時代とは比べものにならないくらい上昇した。

モボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)
ようやく民衆が、多少なり楽になるのは、最初の産業である紡績業が生まれ、20世紀に入って重工業の勃興の芽が出始めてからだ。日露戦争の勝利で得た権益が社会還元され、明治の終わりから大正にかけて、サラリーマンの原型が生まれた。モボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)と呼ばれる都市生活者が、銀座を闊歩するようになる。
また、「地租改正」によって土地を売買できるようになった。当時の銀行がこれを最大限に活用した。
銀行は「経営者」から「土地担保」へ
初期の日本の銀行、都市銀行の原型は、理念として経営者の人物を見てカネを貸していた。だが、日露戦争のあとくらいから、土地を抵当に押さえるようになっていく。それまで、土地は農作物を経由してカネを生んでいたが、直接カネを生むようになった。
まだ農業の国
とはいえ、日本の国力はまだ、世界に誇れるようなものではなかった。まだ農業の国だった。その後、太平洋戦争に敗れると、焼け野原でまずは農業をするしかなかった。昭和40年くらいまでは、都市生活者であっても「職を失っても故郷(くに)に帰って農業をやれば、なんとか食べていける」という感覚があったはずだ。
高度経済成長で農村から都市へ
それが高度経済成長とともに、日本人は農業を脱する方向に変わった。特に、戦後の「農地改革」が、都市と農村を完全に断ち切ってしまった。農業が忘れられ、さびれ、後継者がいなくなる。
農業が否定される一方で、日本はカネ本位路線を突き進み、世界第二位の経済大国になった。
捨てられた江戸文化
明治維新は資本主義を持ち込み、世界に誇る豊かな江戸文化を、物質至上主義・使い捨て文化へと変貌させてしまった。
アニメの元祖「写し絵」
江戸時代に生まれたアニメの元祖「写し絵」もその一つだ。写し絵は、幻灯の原理を応用し、客席と演者の間に置いた和紙の映写幕に、映像を写し出す。演者は「風呂」と呼ばれる幻灯機を胸の中に抱え込み、これを動かして映像をつくる。
風呂(ふろ)には、種板(たねいた)という一種のスライドが取りつけてあり、この種板と風呂を組み合わせることによって、アニメ同様な連続シーンを展開することができる。映写幕上の拡大、ぼかし、クローズアップなどは自由自在。演者の技術によって、劇的な演出効果をあげることができる。
歴史的には江戸末期の享和元年(1801年)、オランダから日本に入って来た幻灯機を見た染物上絵師が考案した、とされている。明治の中ごろまで、江戸、大阪など各地で庶民芸能として人気を博していた。
大正時代の魅力

深作欣二監督の映画「華の乱」を見ながら、私は考えた。わずか15年間とはいえ、大正とは何とドラマチックな時代だったのかと。与謝野晶子はもちろん有島武郎、松井須磨子、大杉栄と、登場人物それぞれが個性的なのだ。
令和時代の文化人
ひるがえって今の日本を考えてみると、どうだろう。令和時代の文化人で、次世代の映画の主人公になりうる人がいるだろうか。政治家や一般人まで視野を広げてみたところで、どうもこれといった人物が見当たらない。
ロマンが乏しい
世の中にロマンが乏しい。ヒーローもヒロインも不在の時代なのである。こんな時代に映画人はどのような作品をつくればいいのか。「華の乱」のように歴史をさかのぼって主題を探すか、あるいは身の回りの普通の人々から今日的テーマを探るか……。
結局のところ大別すれば、この2つの道しかないのだろう。だが、同時代の人々を等身大で描くというのはやさしいようで難しい。どうしてもテレビのドラマ風になってしまうからである。
昭和末期のアニメ
昭和末期のアニメは凄い。とくに映画「となりのトトロ」(1988年公開)と映画「アキラ」(1988年公開)は圧巻だ。
「となりのトトロ」
ドラえもんとオバケのQ太郎を合わせて何倍かに大きくしたような架空の創造物である森の精トトロ。舞台は昭和28年ごろの日本の田舎である。せせらぎの水はあくまで清く、子供たちの心も澄んでいる。「単に昔を懐かしむのではなく、こうもありえたという日本を描きたかった」というのが宮崎駿監督の狙いだったと聞くが、「わすれものを、届けにきました」という糸井重里がつくった宣伝コピーに、作品のすべてが言い尽くされている。経済大国ニッポンが、発展の過程で何かを置き忘れているのではないかということを、押し付けがましさ抜きで問うているのだ。その意味では舞台設定は一昔前だが、見事に今日的な作品なのである。
「アキラ」
「アキラ」は過去でも現在でもなく、核戦争のあとの2019年の東京を描く。悲しいかな今の日本の特撮技術では、近未来の映像はアニメでしか表現できない。独学だが、エイゼンシュテインの著作などで映画理論を勉強したという漫画家大友克洋が、いわば異分野から切り込んできたのである。日本の沈滞した映画状況を揺さぶってやろう、という気迫が感じられた。
河端哲朗氏の位置づけ
明治政府の政策は、「富国強兵・殖産興業」であった。そして「和魂洋才」という知恵で文明開化を推進した。
世代間の調整役
今の日本の政財界に分別のある実力者がいるとすればだが、勝海舟や西郷隆盛のような人たちは、世代間の調整役に徹するべきだ。
起業家が出てくる
若い世代から、伊藤博文や大久保利通のような国家百年の計を立てられる政治家や、岩崎弥太郎や渋沢栄一のような起業家がどんどんでることを期待したい。渋沢栄一は生涯で1500もの会社や団体を起こした。
維新推進役
高杉晋作や坂本竜馬のような維新推進役は、ソフトバンクの孫正義氏や日立製作所の中西宏明氏(故人)などと考えてよいだろう。

野村證券OB
株式会社インベストジャパン社長で、野村證券出身の河端哲朗氏もそのグループの一員になることを期待する。