テクノホライゾン(旧エルモ社)【2021年6月推奨】

業種 電子機器メーカー、IT、製造業
推奨時点の株価
(推奨日の始値)
1,736円
(2021年6月15日)
推奨時点のPER
(前日の終値ベース)
10.32倍
推奨後の高値 2,262円
(2021年7月15日)
推奨後高値のPER
(終値ベース)
12.86倍
株価の上昇倍率 1.3倍
現在の株価 こちら→
市場 東証ジャスダック
証券コード 6629
ロゴ テクノホライゾン

テクノホライゾン(旧エルモ)とは

テクノホライゾン(本社:名古屋市)は東証ジャスダック上場の製造業者。名古屋に本社がある2つのメーカー(製造業)が経営統合し、2010年に誕生した。統合した会社の一つは「エルモ(Elmo)」だ。エルモは100年の歴史がある超老舗企業である。

エルモは光学機器メーカーだった。「書画カメラ」分野で2010年代中ごろまで世界最大手だった。会社名は「エルモ」でなく「エルモ社」だった。

会社(法人)としては2021年にテクノホライゾンに吸収合併され、消滅した。しかし、ブランドとしては残っている。

書画カメラとは

書画カメラは、机の上にある文書や物を大きなスクリーンに映し出す機械である。「実物投影機」とも呼ばれる。「オーバーヘッド・カメラ」「ドキュメント・カメラ」という呼称もある。

資料や立体物をプロジェクターやテレビに直接投影できる。オンラインでパソコンやタブレットに表示することもできる。

主に学校の授業で使われる。ビジネスの会議やプレゼンテーションにも使用される。

Zoomと組み合わせて、オンライン授業(リモート教育)、テレワーク、リモート会議で使うと便利だ。WEBカメラよりも相手に映像を伝えやすい。コロナで需要が高まった。

【動画】書画カメラの使い方

世界トップ

エルモは、書画カメラの草分け的企業だ。国内シェアは4割で1位。組み込んだカメラで会議や授業の資料を投影する「プレゼンター」市場では国内シェア5割以上を誇る(2019年時点)。

世界シェアは、製品の分類方法や計算方法によっては、2019年時点で5割を握っていた。世界最大手だった。

幼稚園から高校までの教育市場を主要ターゲットにしていた。国内外で年間10万台程度を販売していた(2019年時点)。

台湾「アイピーボ(IPEVO)」の躍進

しかし、近年は、台湾の「アイピーボ(IPEVO)」(愛比科技)の猛追を受けた。

とりわけリモートワーク用の簡素な書画カメラ分野では、アイピーボ(IPEVO)の躍進が目立った。

低価格

アイピーボ(IPEVO)は、世界各地のアマゾン(Amazon)で売れまくった。価格が安いのが優位性となった。日本では、台湾の「アビコグループ(ABICO Group)」が、アイピーボを販売している。

教育現場の声をヒントに

エルモは、日本の教育現場と深い関係を持っている。書画カメラの開発では「実物をそのまま映し出せる機械があれば授業が進めやすい」という、教育現場の声をヒントにしたという。

学校の先生向けの講習会

さらに、エルモは教師向けの講習会も各地で開いている。全国どこにでも講師を派遣。書画カメラの効果的な活用法を提言している。

アメリカの初等教育市場

エルモは、アメリカでは書画カメラの代名詞だった。

21世紀初頭に特に成長著しかったのが、米国の初等教育市場だった。

販売台数は市場が立ち上がった2004年から2008年まで、毎年倍以上のペースで増加を続けた。

エルモにとって、書画カメラの売上の地域別内訳は海外が85%を占めたこともあった。

所在地

エルモの本社所在地は、「名古屋市南区塩屋町1の3の4」だった。


エルモの創業物語

エルモは1921年(大正10年)、榊商会として起業された。

創業者・榊秀信氏

エルモの創業者は榊秀信(さかき・ひでのぶ)氏だった。もともと大工だった人物である。名古屋市中区で創業した。

創業当初、エルモはカメラ用品の製造・販売や修理を手掛けた。写真用品や引き伸ばし機を扱った。

日本初の16ミリ映写機を開発(1927年)

日本初の16ミリ映写機

エルモは1927年(昭和2)年、日本初の16ミリ映写機を発売した。

昭和初期の1920年代当時、映写機はトーマス・エジソンも活用した35ミリが主流だった。だが、運搬や設置の面で普及には難があった。

榊氏は、より可搬性が高く、普及が望める映写機の開発を志した。小型映写機の教育分野への活用の可能性を信じたからだ。

輸入された玩具の16ミリ映写機を徹底的に研究した。苦心の末、手回し式を採用した国産初の小型映写機「A型1号機」を開発した。

画期的なフィルム送り機構

その後、一層の改良を加える中で、モーターや映写電球を国内各社の協力を得て開発した。

画期的なフィルム送り機構を付加するなどして、1930年に純国産機と呼べる「D型」を製品化した。

機械遺産に認定

16ミリ映写機の1号機は「エルモ歴史館」(名古屋市瑞穂区明前町6の14)に保存されている。

2013年、この1号機が日本機械学会から「機械遺産」に認定された。

機械学会は「小型映写機が日本の映画文化や視聴覚教育に果たした功績は大きく、映写機の国産第1号機であるエルモA型は映像文化の歴史的資料としても価値がある」と評価した。

名前の由来

当初の35ミリ映写機の商品名(ブランド名)は「ヒコーキ印」だった。1927年の国産初の16ミリ映写機から「ELMO」(エルモ)ブランドを使うようになった。

エレクトリシティの「E」、ライトの「L」、マシンの「M」、オーガニゼーション(組織)の「O」を組み合わせた。


松坂屋の傘下に(1949年)

戦後の1949年に松坂屋が経営支援することになった。(戦中の1944年だったという説もある)

松坂屋は同じ名古屋にある老舗の百貨店である。その松坂屋が筆頭株主となった。

以来、代々、松坂屋出身者がエルモの社長を務めるようになった。

このため、エルモは世襲制の会社にはならなかった。

戦後、8ミリ映写機で急成長

戦後の高度成長期に、エルモは成長を続けた。1965年、カセット装填(そうてん)式8ミリカメラを発売した。

映写機は視聴覚教材の普及に伴い、学校を中心に販路を広がった。

「8ミリ映写機のエルモ」で有名に

家庭向け8ミリ映写機でもトップメーカーとして君臨。富士フイルムとシェア1位を争った。一般の人たちの間でも、エルモは「8ミリ映写機のエルモ」で知られるようになった。

最盛期の1970年から1980年台前半には、16ミリ映写機や8ミリカメラの国内シェア(占有率)で4割を占めるようになった。

【動画】8ミリフィルム映写機の動画


経営危機

その後、映像技術の急速な変化が、エルモの状況を一変させた。1975年から1976年にかけて、家電メーカーが家庭用ビデオテープレコーダーを相次いで発売した。カセットテープに録画する仕組みだった。フィルムを現像の必要がないため、便利だった。

これが、1980年代に入って急速に普及するようになった。その結果、フィルムが急激に衰退した。エルモの業績も悪化した。経営危機にひんした。

1989年に8ミリの生産を停止した。

書画カメラで復活

会社存続の危機を救ったのが、書画カメラだった。1988年に書画カメラ事業に参入した。

当時、学校や企業では、オーバーヘッド・プロジェクター(OHP)が使われていた。しかし、OHPだと、スクリーンやホワイトボードに投影するためには、透明のフィルムに複写しなければならなかった。

書画カメラなら、画面に直接映し出すことができる。映写機で培った「映すための技術」には自信があった。

創業者の死去(1989年)

創業者の榊秀信氏は1989年3月1日、死去した。死因は肝不全だった。享年90歳。

名古屋市千種区の原病院で亡くなった。告別式の喪主は二男、明(あきら)氏が務めた。


タイテック傘下の時代

タイテック上場(1996年、ジャスダック)

後にエルモと合併するタイテックが、1996年10月に上場(店頭公開)した。

創業者・野村利昭氏

タイテックは電子制御装置、電子応用機器の開発・製造会社だった。1975年(昭和50年)に設立した。

偉大な投資家

創業者は野村利昭氏である。2013年に息子に譲るまで、経営を続けた。起業家としてだけでなく、投資家としても優れた感性を持った偉人である。エルモ買収に代表されるように、M&Aを大成功させた。

FA分野で成長

タイテックはFA分野で業績を拡大した。

もともとマイクロコンピューターの技術が得意だった。まずマイコンの応用製品として手がけ、工作機械の制御分野で伸びた。

さらにその応用を広げ、画像処理や伝送技術など情報通信分野に乗り出した。上場時点での資本金は10億7276万円。従業員数は173人だった。



タイテックがエルモ株を取得(2002年)

タイテックは2002年4月、エルモの株式の40%を取得した。筆頭株主だった松坂屋から、全ての保有株式を買い取った。取得額は11億8200万円だった。

3年間の交渉

エルモ社のM&A(企業合併・買収)は、金融機関の仲介によって3年間水面下で交渉していた案件だった。

2年越しとなった買収費用は15億円弱。タイテックの連結総資産の14%を占める額だった。

シナジー

エルモとの技術的な相互補完により、情報通信機器の開発力強化を狙った。

エルモ社は監視カメラなど光学技術で高い評価があった。タイテックの画像取り込み・伝送技術とのシナジー効果は大きいと期待された。

日本全国と海外の営業拠点

エルモが全国および海外にも営業拠点を持つ点も、自社の販売チャネルが希薄なタイテックには魅力だった。

売上高102億円

エルモの2001年2月期の業績は、売上高102億6100万円だった。経常利益1億7000万円だった。

2002年2月末の従業員数は499人だった。

持ち株比率が6割に上昇

タイテックはさらに、2003年1月、エルモ株を買い増した。それによって、持ち株比率が59%に上昇。子会社となった。


エルモ上場(2007年)

エルモ社は2007年2月14日、ジャスダックに新規上場した。上場した時点で、70年以上の歴史を持っていた。

このころ、エルモ社の主力製品は書画カメラと監視カメラになっていた。上場時点で、売上高の50%を占めるのは書画カメラだった。世界シェア約30%を占めていた。

監視カメラ

そのほかは防犯用の監視カメラが売り上げの約3割を占めていた。国内300億-400億円市場といわれる監視カメラは、パナソニックなど大企業に匹敵する10%近いシェアがあった。

上場で得た資金は、2008年1月に本格稼働するタイ工場の設備投資などに充当された。本社レンズ工場の建て替えにも充てられた。

タイテックと親子での上場

上場時点で親会社タイテックの株式保有比率は70%だった。

タイテックも既にジャスダックに上場しており、親子でダブルの上場となった。


タイテックとの経営統合

タイテックとエルモは、2010年に経営統合した。

社名 タイテック エルモ
業種 情報通信機器、
FA関連機器メーカー
光学機器メーカー
所在地 名古屋市南区 名古屋市瑞穂区
上場 1996年上場ジャスダック 2007年上場ジャスダック

2010年4月に共同持ち株会社「テクノホライゾン・ホールディングス」を設立。それぞれの会社がその傘下にぶら下がった。

2010年3月29日、両社同時にジャスダックで上場廃止となった。そのうえで、4月1日に新会社がジャスダックに改めて上場した。

持ち株会社に意思決定を集中させることによる「機動力の発揮」することにした。

当時、野村利昭タイテック会長兼最高経営責任者(CEO)がエルモ社の会長を兼務していた。新しい持ち株会社テクノホライゾン・ホールディングスの会長には野村氏が、社長に竹内清エルモ社社長が就任した。

ソリューション会社へ

電子黒板を買収

2010年代、エルモは書画カメラだけでなく、提示装置側を取り込み、ソフトウエアを含めたトータルソリューション提案を強化することになった。

その一環として、2018年末にブイキューブから電子黒板事業を買収した。

ハードからソフトへ

それまでエルモは、あくまで書画カメラというハードの販売がメーンだった。ブイキューブからソフト開発を含めた電子黒板事業を譲り受けたことで、ソリューション提案が可能となった。

学校に対する新しい授業の提案

例えば、へき地の学校。小規模校でも書画カメラと電子黒板を使った遠隔授業システムを導入した。統廃合を行わず存続が可能となった事例もあった。

また生徒に配布するタブレット端末と電子黒板を接続した新しい形の授業も始まった。エルモ社は、こうした学校ごとの事情に合わせた提案を強化した。

【動画】電子黒板(電子ホワイトボード)

文科省「教育ICT化」が追い風

エルモにとっては、文部科学省の「教育のICT化に向けた環境整備5か年計画」が追い風となった。

5か年計画では、2018~2022年度に、年間1805億円の予算を使い、学校のICT環境整備を進めることになった。

その中には電子黒板を含む大型提示装置・実物投影機を各普通教室に1台、特別教室用として6台設置する目標などが盛り込まれた。


会社として消滅

2021年4月、エルモ社は会社として消滅した。

持ち株会社テクノホライゾンが、グループ内の3つの事業会社を吸収合併したからだ。「エルモ社」「タイテック」「中日諏訪オプト電子」である。


【参考動画】

リモート会議に関するエルモの提案

テクノホライゾンの動画

テクノホライゾンの株価診断


エルモの歴代社長

名前 出身 就任年
榊秀信 創業者
池内龍雄 松坂屋出身
岩田克也 松坂屋出身 1993年5月~
西孝雄 松坂屋出身 1999年5月~
小椋一彦 エルモのプロパー技術者 2002年5月~
竹内清 タイテック出身 2005年2月~
野村拡伸 野村利昭オーナーの長男 2013年6月~